雑記帳 


 1月1日の営業 (06.01.02記)

お盆と正月の時期に決まって帰省する友人と、例年は1月2日ですが、今年は1月1日に市内の中心地で会いました。

1月1日はさすがにどこも開けてないだろうと思ったのですが、声を掛けてきた友人はあちこち歩き回って空いているところを見つけて来ていました。こじんまりとした料理屋さんという感じの店で、我々だけでなくもう一組、10人程のお客がありました。もしかしたら、常連さんがどうしても1月1日にやってくれと頼んでいたのかもしれません。

そこを出て、空いているスナックがないか、ビルの看板に明かりがついているところを上の階から下の階まで確認してみますがどこも営業していません。いくつかのビルでこれを試したあとさすがにあきらめて、めざとく見つけた餃子専門店へ入りました。ここは先客が5人ほど。我々5人を足しても10人ほどでした。

その他、ショットバーが1件営業していましたが、概ね「3日までは休業」という貼紙がしてあります。

市内中心地以外はどうかというと、私の住んでいるところから市中までは8km程あり、自転車で行くことに決めているのですが、その途上で、焼肉屋が2軒、本屋が1軒、寿司屋(回転ずし)が1軒、ゲーム(ソフト)販売専門店が1軒、大手チェーンのハンバーガーショップとうどん店が1軒づつ営業していました。どこの店も車が7〜8台停まっていてそれなりに客はあるんだなぁと感心しました。これらはいわゆる「ロードサイド」店で、車で通りががりに寄るというケースだろうと思います。

ただし、さすがにうどん店には車が停まっておらず、かろうじて自転車が1台店外にありました。お正月にはやはりもう少し値の張るものの方がアッピールするようです。

市内までの途上で車は結構走っていましたが、市の中心地(ショッピングモールと、飲み屋街があります)には人通りがほとんどありません。たまに何人かを見かけますが、ほとんどが若い人でした。

会が跳ねて、帰宅途中にある護国神社の参道には40程の出店が軒を連ねていましたが、夜の11時頃でしたのでもう2/3位は閉店しています。ここでも若い人たちが中心に15人ほどはいたでしょうか。

ということでまとめてみますと、

1.若い人は1月1日でも出歩いている。ただし、さすがに夜になれば普段の日の何十分の一かの人通りしかない。

2.所帯持ちはさすがに1月1日には出歩いてない。(2日は結構みかけます)

3.ロードサイドのお店はそこそこの集客ができる。
  ただし、うどんのようにあまりに日常的すぎるものはアッピールしない。

4.休業中も家賃はかかるので、投資を回収するためにも少しでもお客が入るなら店を開きたいというところもある。(ただし、推測。餃子専門店のケース←若いオーナーが最近開いたお店。)

やはり売上そのものはあまり期待できないと言えそうです。自分の店舗の特色、財政事情を考えて1月1日の営業をすべきかどうか判断する。常識的ですが、そうするのが一番でしょう。

日本は欧米と違い、「労働」に明け暮れるという姿勢は一生懸命さとしてそれなりに評価されますが、やはり適度に休養をいれて、頭も体もリフレッシュしたほうが本来稼ぐべき時の売上は上がるのではないでしょうか。

一度試しに営業してみるのは良いと思いますが、どれくらいの効果があるのか次年度からは良く検討してみるべきでしょう。


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 温故知新 (06.01.01記)

孔子の言葉に「温故知新」というものがあります。

「古くをあたためて新しきを知る」あるいは「古きをたずねて新しきを知る」と読みますが、この語に続いて「もって師となるべし」とあって、「古いことに習熟して新しいこともわきまえれば、教師となれるだろう」という解説がついています。(岩波文庫 「論語」金谷治 注訳)

けれど一般には「温故知新」の部分が有名で、私は「古いものを研究すればそこから新しいものを得ることができる」という意味だというイメージを持っていました。ちなみに広辞苑では「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること・古きをたずねて新しきを知る。」とあります。(SEIKO電子辞書より)

日本のお正月は、商売人には暮れに掛け売りの清算をし、翌年はまた帳面を新しくして始めるというような意味合いがあったようですが、近年のビジネスでも年末年始はやはり1年を振り返り、翌年の戦略をじっくりと考える機会として使われているように思えます。

ビジネスの基本の一つに「PDCA」がありますが、1年単位でのPDCAにはこの年始のタイミングがピッタリのような気がします。皆さんはこの年末年始でどういう「温故知新」を実践されたでしょうか。

私は昨年はあれこれ種まきを実施しました。今年はそれを育てて行く年にしようと思います。


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 社会の目指すべき方向は「勝ち」より「価値」

 今の世の中心原理は「競争」です。「競争」とは突き詰めれば「弱肉強食」あるいは「生存競争」ということです。他の生物と根本は何も変わらず、他よりは自分が大事。「生き残り」の原理に支配されます。

 人間という種は「社会」を形成して、より多くの個体が生き残れる仕組みをもっています。しかし、これほど個体間の生活環境に格差のある種はありません。他の動物においては他の種との間の弱肉強食ですが、人においては同種の人との間の「弱肉強食」が主です。

 一方で、「競争のない社会」がどういうことになるか、社会主義国がある種の結論を出してしまいました。もはや実りある原理は「競争原理」が唯一となったかの様です。しかし、ここにも大きな「落とし穴」があるのでのではないでしょうか。

 例えば、「地球温暖化対策」を考えるとき、その必要性を感じながらも各国の足並みがそろわないのは、結局ここでも「競争原理」がメインのイデオロギーとして足下にあるからです。実りへ向けての「落とし穴」はそこにあります。

 人間にも否応なく刷り込まれている「競争原理」は否定しても始まりません。必要なのは否定ではなく、人ならではの「競争の活用」です。そのために掲げるべきイデオロギーは「価値」という概念だとおもいます。

 大きく言えば「人類」にとって価値のあることか、社会にとって価値のあることなのか。相手に単に「勝つ」のではなく、相手にはない「価値」を打ち出せるかどうかということ腐心すべきだと思うのです。

 「勝つ」ことは目標でもゴールでもなくそれは結果の一つです。自分にしか出せない「価値」を打ち出せたならばそれは間違いなく世の中を豊かにすることです。

 次のような「価値」の事例はどうでしょう。

 100mの短距離走における「勝ち」は100m通過時点ですが、それぞれ10m刻みで誰が一番前に居たか、ポイント制にしてみる。あるいは80m競争にする。今のような形の競争と勝者が異なることでしょう。「速さの価値」とはいったい何なのでしょうか。

 200m競争や110mハードルという競争種目があるのは、「勝ち」の種類が様々で、つまり色々な「価値」があると人間が感じている証拠です。オリンピックの競技種目が増えてきているのそういうことでではないでしょうか。

 結果としてだれかが勝つことは起こります。しかしそれは相手を打ちのめすことが目標で出てきたものではなく、故に相手を全て否定してしまうことにはなりません。「価値」の本質を追究することで初めて「勝つ」ことが人間に恵みをもたらしてくれると思います。


 年初の計画 

  会社組織にいると、年初の計画なんていうものも「年中行事」の一つにしか過ぎませんでしたが、独立してみるとその大切さに改めて気づかされます。

  中小企業の中には、あらためて年初の計画なんかを立ててないというところもあるでしょう。けれども社長さんがこういう事を意識して実践している会社とそうでない会社は確実に成長の仕方が違うものです。

  これは冒頭の「組織員には年初の計画なんて単なる年中行事」だというコメントと相反します。そうなんです、一方でこういうことで終わってしまう場合も多いのですが、それでもまあやはり「年初の計画」を立てて、配下の組織にそれに基づいた部門目標を立てさせることは大切です。

  ただ、そこで一つ工夫をして欲しいのは、部下の立てた目標を聞き、どういう思惑とどういう判断でそういう目標になったのか個別にじっくり議論して欲しいのです。大抵の会社では、全体会議で各部門の目標を発表させるという形ではないでしょうか。

  これでは社長の意図を反映して全体として意思統一のとれた計画にはなりにくいものです。何より個別に討論した場合、各部門の計画達成にむけた意気込みが全然ちがったものになるでしょう。

  年度が4月からというようなばあい、実際にはそこからの計画になるわけで、それなら4月が近づいてからでいいじゃないかという考え方もあるでしょうけれど、やはり日本人にとってお正月の気持ちの改まり方は特別ではないでしょうか。

  実際の計画は、年度開始の前に見直しをかけて、微調整が必要なら調整をすればいいでしょうし、実行に際して計画を再評価するのは実際的でもあります。


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